S47年6月18日 特別奉修委員
ほんとに、えー、申し上げることはもう、全てがあの軽視主義ではなくて、えー、ほんとにあの、実感のこもったものでなからにゃ、いけませんですね、お礼でもお詫びでも。おー、お願いでも、もちろんそうであります。えー、例えば、お礼の、おー、もうほんとに、んー、うちのー、久富先生でしたかね、合楽会のときに、それこそあの、泣くまいと思うても泣かにゃおられんほどに、見せず泣きするほどに、この頃有り難いというふうな事を言っておられましたが。
涙が出るほど有り難いというのはね、それがならあのー、ほんとに自分達のごと信心もでけん者に、あれもこれも思うて( ? )おかげ頂いて、というときのお礼は実感ですね。だからそれも有り難いから、神様届くけれどもね。
あの、それとは反対のことですたいね。それと反対のことの場合でも、普通でいうたらおかげないような場合であっても、それをおかげと気付かせて頂いたら、お礼が言えれなくなります。お礼を言ったら涙がこぼれるごとなったというのが、ほんとのお礼だと思うですね。ね、何かおやつでももらった時に有り難いのなら、やっぱ誰でも実感として嬉しい、いわゆる嬉しい、有り難い、というのですからね、それと反対なもの。ですから、そこんところを神様いっつも演出してくださるわけですけれども。
あのー、例えば難儀なとき、困ったことでも、それがあの、あい、おかげであるとほんとに分かったらお礼申し上げなおられんとですから、あの、ほんとにあの、お礼を申し上げねばならないことぞ、というてね、あの、( ? )して下さる。
昨日、あの、関さん、おとといここから帰りに、あのスピード違反で捕まって、あ、すぐ罰金とられただけでしょ。んー、で、昨日そのことのお届けがありましたから、そりゃあ関さん、メグリのお取り払いですよっちってから、ああ、ね。( ? )、だからメグリのお取り払いですから、ほんとにやはりお礼を申し上げないけんのですけどもね。その実感が、今日、初めてそのお礼になってきたような感じがするんですね。
というのはその、帰られた( ? )出てきたっちゃけん(笑い)。いやあ、もうほんとに( ? )ながら、としこさん、( ? )親先生お届けしたら、メグリのお取り払いとおっしゃったが、もうほんとにほんなほなメグリが出ようとしよったつばの、こうしておかげ頂いたっちゃろうかのというて、まあ、親子連れ、ほんとにあのメグリの実感の、ということですね、メグリのお取り払いの実感です。
ですからあの、ただ口でだけではなくて、心からメグリのお取り払いとして有り難くお礼が申しあげれるわけです。そのお礼こそが、あたしほんとのお礼じゃなかろうかと思うですね。ただ、お願いしたらお願い通りになりました、もうほんとにやもやもうそれこそ、見せず泣きたいごたる有り難くなってくる、( ? )ておるからそげん思うのであってね、だけども、それとはなら、は、反対の、お、痛いこともありゃあ、痒いときもあった、ああ、損した場合もあったけれどもです、ね、そういう時をほんとにお礼を申し上げられるようになった時が、一人前じゃなかでしょうかね、信心は。
いわゆる真の信心とはそういうことじゃなかでしょうかね、うん。その、ならメグリのお取り払いに対してでも、ほんとにお取り払いとして、その、おお、頂けれる、『やれ痛や、今みかげをという心になれ』して頂いたらお礼が言える。だから……
※途中で録音が終りました。 さだみきこ